長らく続いたコロナ禍も終わりが見え、「今年こそは」と年頭を迎えていた元旦の午後、けたたましく携帯電話から警報音がなり揺れを感じ、次ぐ日には羽田からの航空機の事故の報が入りました。身近な情報としましては、石川県七尾市に住んでおられた橋屋さん(S45卒)のお宅が全壊。たまたまお休みになるのをいつもと違う部屋にされて命拾いされたとお聞きしました。新年早々、お亡くなりになった方々に謹んでお悔やみ申し上げます。世界に目を向けましても、争いが絶えずまさに「常在戦場」の心構えで日々過さなければならないと思うのは大げさでしょうか。恩田東周先生が「関東大震災の時は思い切り『送り足払い』をかけられた気がした」とよく言われていました。その後、200mの落ちてくる電線をいくつも飛び越えながらの「前回り受身」で生き延びた様子は、東周夜話に「火と柔道」として掲載されています。鵠志会も柔道部もアフターコロナの新しい時代に厳しい歩みをしていく事となります。鵠志会としましてはメール等でも再三、申し上げている様に若い会員の積極参加が課題です。のちに掲載されています佐藤浩一(S57卒)さん「恩田師範の揮毫の思い出」の文章の中に「恩返し」あるいは「恩送り」という言葉が出てきます。合宿や試合で先輩方から受けた数々の思い出を、今度は後輩たちに「恩送り」として返してやる、この思いが強いのが理科大柔道部の良き伝統である、と
思っています。なかなか仕事や家庭のことで精いっぱいで柔道部どころではないかもしれませんが、ふと足が向いた柔道部の催しにかつての自分を思い出すことも少なくないかもしれません。柔道部の今の状況はコロナ禍では練習ができず、やっと3キャンパスで活動し始めたところです。特に、葛飾キャンパスは畳が常設ではなく他のサークルとのバッティングで、まずは練習場所の確保からといった状況です。その中でも他大学との合同練習などで、何とか練習場所を確保しています。他大学においては、なかなか団体戦のメンバーが揃えられない状況もあるなか、何とか部員数を確保出来ているだけに今後の努力が期待されます。そんな中、今年は対抗戦の主幹校にいくつか当たっており、全日本理工科も係員として期待されている現状もありますので、若い会員にぜひ顔を見せてほしいと思っています。鵠志メイルも多くの文章を寄せて頂き、掲載順では
- ① 上田克己さん(S46卒)の「建築と柔道:海外挑戦の我が人生」という演題で昨年の総会で講演して頂いたダイジェスト版です。総会に出られなかった方はぜひご覧下さい。
- ② 望月哲夫さん(S46卒)は昨年の理窓会ホームカミングデー関連の卒業50周年の会の総括です。
- ③ 現役学生の文章、木村神楽坂部長(統括部長として柔道連盟や他のキャンパスとの連絡調整に尽力しました。)キムインヒョク君(韓国から入学、初心者で入部し現在、初段で活躍。見事な日本語の文章もご一読下さい。)
- ④ ペンリレーの一人目、佐藤浩一さん(S57卒)恩田先生の秘蔵子としてかわいがられ当時の哲学的、宗教的?な文章が目を引きます。
- ⑤ ペンリレーの二人目、島岡秀行(S62卒) 心ならずも生涯柔道。次期指導者として期待大。
- ⑥ さて最後に控えしは鵠志会の文豪、三浦拓夫さん(S45卒)久々の登場です。
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